2010年09月27日

◇ 伍、 ようこそ麒麟亭へ


 どうもユーアの様子がおかしい。昨日からだ。

「さらわれたのがショックだったのかな。それともホタルと別れたことか……。どう思う、サキョウ?」

 ついさっきまで大工仕事に使っていた金槌を片付け、テーブルの上に頬杖を突いて俺は言った。

 返答なし。

「なんだよ。まだ怒ってんのか」

 ホタルらが去った後、サキョウを置き忘れてきたことに気付いた頃には、すでに陽はとっぷりと暮れていた。

<当たり前や! あれだけ言ってほんまに忘れられたらシャレならんわ!>

「へいへい、悪うござんした」

<お前が死んだら、シュウやケニィに顔向け出けへん思て、心配したで>

 俺の祖父と父の名前である。

<まあ、墓場を選んだんが奴らの失敗やな>

「じいさんと親父が守ってくれた、とでも?」

<この世の中、何でもアリやからな>

――喋るティーポットだけで、充分異常だもんな……。

 いつの間にか本題からずれてしまっていた。

 頃良く、洗濯物を干していたユーアが戻ってくる。

 深くため息をついたりする。ぼんやりしている。

 やっぱり変だ。

「おーい。ユーア、大丈夫かお前?」

「……あ、リオマさん……お茶でも淹れましょうか……?」

 虚ろに呟く彼女。

 俺はこれまでずっと、一人だった。

 だが彼女が来てから麒麟亭は変わった。今、ホタルがいなくなり、ユーアの笑いが途絶えることで、俺は一人きり以上の孤独と寂しさを味わっている。

 妙な雰囲気だ。彼女の気分が周りに影響している。俺にも、また。

「はい、どうぞ」

 サキョウからティーカップに注いだ紅茶を、ユーアは俺の前に置いた。心なしか、その細い腕が震えているように思った。

 一口すする。

――? この味は……!

 俺は含んだ紅茶を床に吐き出した。

「おいユーア、今隠した物を出せ」

 きびすを返しかけた彼女が、足を止めた。

「この家の何処で見つけてきたか知らんが、お前がこの中に入れたのは毒薬だ。間違っても砂糖やレモンの汁なんかじゃないぞ」

「……わかってます」

ユーアは食器棚の抽斗を開け、その奥から布にくるまれた細長い物を引っ張り出した。

 こないだの剣だ。いつの間にあんな所に。

「やっぱり気付かれちゃいましたね。出来れば毒で死んで欲しかったんですけど。ここを汚したくありませんから……」

 布を取り去り、剣を抜く。ボロボロに錆びた刀身。こびりついた褐色のもの。

<何をする気や、ユーアちゃん!>

 ユーアは黙ってサキョウに鍋をかぶせて静かにさせる。

<……! ……!!>

 そうして彼女は剣の切っ先を、椅子に座ったままの俺の喉元に突きつけた。

「この剣が斬った相手、見れば想像が付きます。こうやっていつまでも残しておくことがあなたの愛情なんですか?」

 サユミ。

 血を拭わなかったのは、あの『約束』をいつまでも忘れられないようにするためだ。

「せめてこの剣で死なせてあげるわ。“赤蠍”(スコーピオン)

 ユーアは竜の肌のような、固くザラついた声で言う。

「何の、つもりだ?」

「本名を名乗った時、気付いてくれるかと思ってましたけど……そうですよね、いちいち『お仕事』の相手の名前なんて憶えてませんよね、リオマさんは」

 彼女の瞳に涙が浮かんだ。

「私は鈴・ラクステイア・ユーア。あなたに殺された鈴・レマルクの娘です」

 彼女はその涙を俺に見せぬように、精一杯毅然と言う。

 鈴・レマルク。

 思い出した。奴の名。サユミの両親を殺した男。

 そして、奴は、俺の手で……。

 ではユーアは、最初から復讐のために俺に近付いたのか?

「大体、飲み込んでもらえたようですね」

「ああ。毒入り紅茶はともかく、お前の素性のほうはな。しかし俺を殺す気なら、もっと前に機会があっただろう? 正直、俺はお前のほうが王女だと思ってたんだぜ」

「最初は……ホントに偶然だったんです。行き倒れてリオマさんに助けられたのも」

 剣先はまだ、俺に向けられたままだ。

「もう五年ですね。父が殺されてから。――リオマさん、何故、父を?」

「お前の親父は、成り上がるためにかなり汚いことをやってきた。恨まれる相手の数はそれに正比例する」

 俺もその中に含まれる。直接の依頼主は誰か知らんが。

「たとえそうだったとしても、私にとっては優しいたった一人の父でした。母を早くに亡くしていましたし。その父が死んで、家は体よく乗っ取られ、私は一人ぼっちになった」

 五年前。

 あの時俺が助けた少女は、ユーアだったのか。

 ユーアは自嘲するように唇を歪めた。

「髪を切ったリオマさんを見た時に思い出しました。私を蛇から助けてくれた人だって。『何故あの人は私の家の庭にいたんだろう。ひょっとしてあの人が……』。そう思わなかったわけじゃない。でも、一晩で全てを失った少女が、自分を救ったその人の面影だけを心の支えにして生きてきたって、誰も責められませんよね……?」

 柄を握ったユーアの指が、力を入れるあまり白くなっている。

 俺は口を開かない。

「だけど、あなたは……」

 彼女はそこで言葉を切った。だがその後はわかっている。

俺は、暗殺針(アサッシン)だった。

「父を殺されたあの日、私は幼心に犯人への復讐を誓った。それから、あなたのいた裏の世界の、そのまた裏を生きてきた。父を殺した暗殺針を――あなたを殺すために、魂さえも血に染めた」

 ようやく、悟った。

 俺がユーアに惹かれていた理由を。

 奇妙な親近感を感じていた理由を。

 彼女は俺と同じ道を辿ってきたのだ。

「地獄のような日々でした。鬼が棲む場所を地獄と定義するならば」

 ユーアは、片手で胸元をはだけた。

 透き通るような白い肌に――醜く走る無数の傷痕。

「血と屍に囲まれて目覚める朝もあった。男たちの慰みものになる夜もあった……。あな たにはひどいことを言ったけど、私も人殺しの仲間。そんな暮らしを続けるうちにこの街に流れ着いた」

 服の襟を直し、彼女は続ける。

「二度もあなたに助けられて、これは運命だと感じた。麒麟亭で働いた日々は楽しかった 自分にまたこんな幸福な暮らしが出来るなんて、想像してもみなかった。父の仇だとわかっても、あなたなら許せると思った。あなたが私を受け止めてくれるなら、復讐を忘れられると思った。だけど、だけど……!」

 堪えきれなくなった涙が、ユーアの頬を伝った。

「あの暗殺針の話を聞いて……そしてあなたの戦う姿を見て……気付きました。あなたはやっぱり普通に暮らしていける人じゃない。あなたは、表情一つ変えずに人を殺せる人間――暗殺針“赤蠍”」

 ユーアが左手を右手に添える。

「悩みました。何度も決心を変えようとしました。でも、やっぱり私は、あなたを殺すしかないんです!」

 両の手で刃を俺の首に押し当てる。

 『殺す』。

 それは恐らく、人の歴史の中で最も多く叫ばれてきた言葉だろう。哀しいことに。

「……どうした? 斬らないのか?」

「……リオマさんがテーブルの下で私を狙ってる針をどけてくれたら、そうしてもいいですけど」

 俺は言われた通りに針を投げ出した。

 こいつに殺されるんなら、それもまた……。

「錆びた刃とお前の力じゃ、俺の首を落とせんだろう。正面から喉を突け。そのほうが早く終わる」

「リオマさん……」

 俺は目を閉じる。

 サユミ、どうやら『約束』は守りきれそうだ。俺の一生がここで終わるなら。

 剣が床に転がる音がした。

 瞼を押し上げ、光を採り入れる。

「ユーア?」

「どうして……五年前のあの日、私を助けたんですか……人殺しのくせに……昨日だって、私のために……」

 絞り出すように言う。

「そうでなきゃ――ためらわずにあなたを殺せたのに!」

 くるりと背を向けるユーア。

「やっぱり、あの日に出て行くべきでしたね。安心して下さい、もう戻って来ませんから……」

「殺さないのは、俺への思いやりにはならんぞ」

 あるいは、最も痛烈な復讐かも知れない。俺にとっては。

「当たり前でしょう。親の仇に情けをかけるバカが何処にいるんですか……」

 ユーアは閉ざされた扉の前で立ち止まった。

「そんなバカな女なら……今も、引き留めて欲しいとでも思ってるかも知れませんね……殺そうとした男に、自分を呼び止めてもらいたいと……そして、一緒に……」

 ユーアはそう言うと、自分の言葉を忘れようとするかのように軽く首を振り、ノブに手をかけようとした。

 そうする前に、扉が開いた。

「――!」

 飛び込んできた男はユーアの体を左腕で動けぬように押さえつけた。右腕で刃を彼女に突きつける。

 いや、それは腕ではない。

 失った肘から先に、剣をくくりつけて固定してあるのだ。

「貴様……故郷に帰れと言った筈だ」

「なぁに、少し忘れ物をしただけですよ。それが済めばすぐに帰ります」

 “蜻蛉(かげろう)”。

「暗殺針はやめることにしました。確かにこの腕では、きついでしょうからね。ただその前に、仕事とは無関係にあなたと決着を付けておきたかった。おっと、今のわたくしにいつもの麻痺毒は効きませんよ。破毒剤を呑んでありますから。即死毒の類いなら別ですがね」

 意味ありげな台詞。

 呆れ返るほどしつこい野郎だ。

「昨日わたくしと戦った相手は結局、麒麟亭の隗・サァトに過ぎなかった。“赤蠍”を呼び起こすところまではいかなかったんですよ」

「その通り。だが、俺が眠らせたサソリより、隗・サァト・リオマのほうが強いかも知れんぜ」

 そう、今の俺には……。

「守るものがあるから、ですか? ひどく月並みな台詞ではありますが、それも確かに考えられます。だからこそはっきりさせに来たんです、あなたの力を」

 “蜻蛉”は一度刃をユーアから離し、自らの腰に下げた袋の紐を断ち切った。

 鈍い音を床に響かせ、それが落ちる。包みがほどけ中の物があらわになる。

 鉢植えの、小さな花。

「何だ、そりゃ?」

「見ての通り、わたくしが育てている花ですよ。名前なんかは知りませんけどね。――毎日毎日、水をやる。わたくしが生きている限り。『仕事』を無事に終え住処に帰った時など、こいつを見るのがただ一つの楽しみでしてねぇ。綺麗だとかいい香りがするとかそういったことではありません。わたくしが死ねば、この花も枯れる。大袈裟ですが、わたくしの『生きた証』というところですか」

「そいつを、賭けるってわけか」

 “蜻蛉”は嬉しそうに微笑んだ。

「流石、お察しが早い。勿論あなたにも賭けてもらいますよ、この麒麟亭を。あなたの大切な家族の想いが詰まった店、このお嬢さん、ここに呑みに来る馬鹿なお友だち連中……。それがあなたの守るもの。あなたが負ければ、そうですね、建物ごと燃やすことにでもしましょうかねぇ」

「――俺は、あり得ない仮定で話を進める奴は嫌いなんだ」

 俺は静かに椅子から立ち上がった。

「おっと、そう急がないで下さい。まだお話ししておきたいことがあるんですよ。わたくしは今まであなたの人間性を見誤っていました。昨日あれから、ギルドの上層部に問い合わせて調べさせて頂きましたが」

 言いながら、再び刃をユーアに向ける。ユーアは自分の身に起こったことを理解すると、ただ黙って目を閉じていた。

「あなたの受けた最後の依頼――恋人を殺したというのは、決してあなたの冷酷さを物語るものではなかったんですねぇ。お嬢さんも良く聞いておいて下さい。涙無しでは語れない、感動的な美談なんですから」

 身体中がざわつくのを感じた。

「その仕事を依頼したのは他ならぬあなたの恋人――サユミさん自身だった。彼女は不治の病を患っていたそうですね。苦しみながら死ぬよりはいっそ愛するあなたの手で……ってわけですか。いやはや、いいお話です。――また、その依頼には条件が付いてました。彼女を最後にあなたは人を殺さなくなった。いや、殺せなくなった。なにせ恋人との最後の『約束』ですからね」

 ユーアがうつむいた。涙の残りがこぼれていった。

「あなたはこの真実を隠そうとしていた。冷酷であり続けようとした。恋人が自分のために死んだと思いたくなかったんでしょうか? 確かにそれよりは、『仕事』のため仕方なく殺したと信じ込むほうが重荷は少なくなります」

「“蜻蛉”……!」

「でも、あなたはもはや毒を抜かれてしまった。ある意味では、サユミさんのほうが残酷ですよねぇ」

 奴の言葉に、俺の中で凍っていた刻が融けて流れだす。

 「あなたは怒りによって剛くなり、そして迷いによって強くなった。わたくしが見たいのは、強くなった隗・サァトが、なおかつサソリの猛毒を取り戻した姿です」

 サユミ……。

 奴は触れてはいけないものに触れてしまった。

 約束……破っちまうかも知れない。

「そこまで言うなら戻ってやるぜっ! “赤蠍”に!!」

 針を握る。

 その時、“蜻蛉”の目を盗み、ユーアが服に忍ばせた小さな短剣を抜くのが見えた。

 まさか――

「いけないっ、リオマさん!」

 光る刃が、“蜻蛉”の喉ぶえに埋め込まれた。

 鮮血。

「……!?」

 “蜻蛉”の声にならない叫びが虚空を貫いた。ユーアの足下に崩れ落ちる。

 真紅の返り血に彩られた凄艶な笑顔で、ユーアは呟くように言った。

「リオマさんが殺しちゃいけないわ……約束なんでしょ、恋人さんとの」

 短剣が下に落ちる。

――馬鹿野郎!

 俺はユーアに駈け寄った。両腕で胸の中に彼女を捕らえる。

「やっぱり、“蜻蛉”が言った通りだったわ。一度血の味を憶えた者は、もうそこから抜け出ることは出来ない。私は、リオマさんみたいに、強くない……」

 ユーアは俺の胸に額を押しつけた。

「サユミさんって……どんな人だったんですか……?」

 途絶えそうな、問い。

 ユーア。

 サユミは……お前みたいに明るくて、それでいて寂しげで、そしてバカな女だった。

『リオマ、私を殺して……私を最後に二度と人を殺めないで……』

 あの時、サユミはそう言って微笑んだ。記憶の中のその微笑みが、さっきのユーアの笑顔にダブる。

 バカな女だ……バカな……。

 俺にあんな嘘が通じるとでも思っていたのだろうか。

 

二六刻(にろくどき)中、一緒にいたんだ。

――あんなに元気だったお前が本当に病気かどうか、一目見りゃわかるだろうが!

 俺みたいな男を奈落から救い出すために、自ら死を選んだ……命を賭して俺の間違いを正そうとした……バカな女。

「ユーア……」

 だが、俺もバカだ。

 四年も経って、ようやくサユミの気持ちがわかった。

 もう迷わない。過去に縛られたりはしない。

 ユーアを抱いた腕に力をこめた。

「……俺を殺せ、ユーア。そして二度と人を殺めるな……」

 サユミがしたように、今度は俺がユーアを救わねばならない。

 ユーアが、俺を突き放した。

「リオマさん……いつも無理なことばかり言う……」

 夢遊病患者のような足取りでテーブルに近付き、俺のいた席に腰掛ける。

 ユーアの考えに気が付くまで、少し時間を必要とした。

 彼女はティーカップを手に取った。

 しまった!

「ユーア、やめろっ!?」

 パキン。

 場違いな音が、静まり返ったその場に響いた。

「……。上手く修理出来たと思ったんだがな」

 クギの打ち方が甘かったか。安堵のせいか、緊迫感の無い思考。

 脚が取れた椅子と、床に転がるユーア。割れたティーカップ。

 ユーアに歩み寄り、手を差しのべた。わずかなためらいの後、彼女は俺の顔を見上げ、その俺の手を強く握りしめた。

 ユーアを引っ張り起こす。血と紅茶にまみれた顔を手拭いで拭いてやり、もう一度その体を抱きしめる。

 彼女の耳元で囁いた。

――それは多分、人の歴史の中で、最も多く囁かれてきた言葉。

 彼女が身を震わせる。

「私なんかにそんなこと言って、いいんですか……私バカだから、信じちゃいますよ……?」






 “蜻蛉”の死体は、役人に引き渡した。ハヅキから手配がまわっていたのだろう。深い追求は無かった。

 床の血痕を拭き取る。平和な麒麟亭を取り戻すために。

 ユーアがぽつんと言った。

「父は、昔からあんな人だったわけじゃないんです。人から聞いた話ですけど……」

 ついさっき、俺は彼女に語ったのだ。自分の過去を全て。

「父には母の前に愛した人がいたんです。その女性はミラ人で、二人は引き裂かれて……それから父は、何かにとり憑かれたように混血狩りを……」」

 彼女には申し訳ないが、それを聞いても今さら感傷めいた気持ちは湧いてこなかった。とっくの昔に気づいていたのだ。俺が殺しに手を染めたように、ユーアが俺に復讐を誓ったように、誰だって歪むには歪むなりの理由があり、そうやって傷口から傷口へと憎しみを含んだどす黒い血は受け渡されていくものなのだと。

 それは言い訳にはならない。免罪符にもならない。まして憎悪を封じ込める大義名分にも。

 ならば、どうすればその連鎖を止める事が出来るのだろう。

 いくら血痕を拭っても、臭いと染みは完全には消せない。俺はそれでも床を擦り続ける。

 ユーアが静かに席を立ち、テーブルに置かれたカップに熱く湯気の立つお茶を注いだ。

「リオマさん。私はやっぱり、まだあなたを許せないと思います。だから――」

 そして、もう一つのカップにも。

「――あなたを許せるようになるまで、傍にいたいです」

 一時凌ぎで姑息な、何の解決にもならない解決法。だが、抗う手段を俺は持ち合わせていなかった。

 ユーアがぎこちなく微笑むと、示し合わせたように俺たちは互いの椅子に腰を下ろし、そして俺は改めて彼女に言った。



 「ようこそ、麒麟亭へ」――と。








-終-



Posted by 白川 嘘一郎 at 22:00│Comments(0)
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