2010年09月27日

◆ 肆、 出血大奉仕



 『時震』が起こり、鎮まる。

 少し季節が逆戻りしたような日差しが、気温を高めていた。

 表の石像をまた水洗いしている俺。ユーアに命じられてのことだ。

 今日の買い出し当番はホタル。少々心もとないが、本人のたっての希望による。そういう経験はあまりしたことが無いらしい。

――それにしても、暑い。めまいがしそうだ。俺は湯気でも立ちのぼっていそうな地面に水を撒く。ほとんど気休めにしかならないが。

 暑い。思考が揺らぐ。……と、誰かの声がした。

「おい、貴様っ!」

 顔を上げる。

「人に水をかけといて何の挨拶も無しか!?」

 若い男が一人、その後ろに二人。視線を下げると、彼の足が水びたしになっている。ぼんやりとした頭で謝ろうとして、俺はふと男の腰に目をとめた。

紋章入りの禍多泣(かたな)。――沙邑尉(さむらい)だ。

「こんにちは。今日も腹が立つほどいい天気ですね」

「一雨欲しいところですね……って、そうじゃないだろっ! 謝れと言ってるんだよ!!」

 結構ノリのいい奴だな。

「すまんな。ちょっと冗句が低級すぎたかな」

「だからっ、謝るのは水をかけたことに対してだッ!」

とうとう堪忍袋の緒が切れたか、禍多泣(かたな)を抜く。

 脅しかと思っていたら本当に振り下ろしてきやがった。しょせんはこういう奴らだ。俺はその刃を、手にしたひしゃくで受け止める。

「――お主、出来るな」

 木のひしゃくに刃がしっかり食い込んでいる。あとで弁償しろよ、おい。

「それぐらいにしておけ、ラザン」

 後ろの男のうち一人、総髪の男が進み出る。こいつも若い。端正ではあるが、どことなく冷たい顔だちだ。

「ハヅキ隊長。しかし……」

 隊長とやらが睨むと、ラザンと呼ばれた男は沈黙した。

「我が姓は燕(えん)、名はブロイ、字はハヅキ。まずは部下の非礼を詫びよう」

 詫びているようには見えない様子でハヅキは言う。

「ハヅキか。――あんた、ひょっとして八月生まれか?」

「大きなお世話だっ!」

 思わず声を荒らげ、二人の部下たちから白い目で見られた彼は、きまり悪そうに咳払いした。

「こっちは一歩間違えりゃ死ぬとこだったんだ。それだけで済ませる気か?」

「最初の原因は貴様だろう!」

 ラザンが横から叫ぶが、もう一人の坊主頭の同僚に押しとどめられる。

「いくら沙邑尉(さむらい)でも、あれしきで町人を斬る権利はないと思うがな。こっちだって、真昼の貧乏酒場の前をお偉いあんた方が通るとは知らなかったんだ」

「……何が欲しい」

「王族の番犬から施しを受けるほど落ちぶれちゃいない。ただ一つ、あんたらが何故こんな街を歩いてるのか、その任務の内容を聞きたいな。ひしゃく代は水をかけた事と帳消しにしてやるが、刃を向けられた償いとして、それぐらいは要求してもいいだろう」

 眉根を寄せるハヅキ。

「損はしないと思うぜ。何か協力出来るかも知れんしな」

 大嘘である。死んでもこんな連中に協力などするか。単に困らせてやりたいだけだ。

「――いいだろう。ただし、他言は無用だ」

「隊長!?」

 ハヅキの言葉に、部下二人は驚きの声を上げる。

「わかっている、ラザン、テラ。だが、確かにこの男の言うことにも一理ある」

 そうそう。こういう律儀で融通のきかない手合いを動かすには、権利だの義理だのといった綺麗ごとをちらつかせるに限る。

「我らの使命は、二週間ほど前から行方不明の第十八代王女妃殿下をお探しし、保護することだ。そして暗殺針ギルドも妃殿下を狙っている。それだけだ」

 王女が? なるほど、それでか……。

「何か知らぬか?」

「さあ……その姫さんの特徴ぐらいは教えてくれんと、何とも言いようがない」

 ハヅキはかぶりを振る。

「それは出来ん」

「何故だ?」

「お主が敵ではないという保証はない。お主が本当にただの町人かということと同様にな」

 使い物にならなくなったひしゃくに目をやるハヅキ。

「慎重だな。まあいい、情報を掴んだら連絡してやるよ。ラディッシュ亭のハヅキだな」

「ああ。くれぐれも口外せぬように」

 ハヅキはうなずき、二人を連れて通りの向こうに消えていった。角を曲がる際、ラザンが挑戦的な視線を向けていったが、しょせん負け犬の遠吠えだ。

 ハヅキにテラにラザンか。名前と居場所さえわかれば幾らでも嫌がらせの方法はあるってもんだ。ニセ情報を流すのも面白い。

 それらを実行した様を想像すると、わずかに良心が痛んだが……まあいい、何もかもこの暑さが悪いんだ。





「……ということだそうだ」

 家の中に戻り、ユーアが入れてくれた水を飲み干した俺は、彼女に事情を説明してやった。

 他言無用? 知ったことか。

 彼女の反応を確かめる

「へぇー。それは大変ですね」

 あまり驚いているふうではない。もしかしたら……。

 ユーアが倒れていたのは丁度二週間ほど前。

 シュンセツは、王女を十五歳だと言っていた。

 もし、こいつが俺が思っているより幼いとしたら? 他にも思い当たるふしは幾つかある。

 俺はコップを磨くユーアをじっと見つめた。

「あっ」

 突然、ユーアが思い出したように言う。慌てて目をそらす。

「リオマさん、ホタルくんが帰ってくるの、遅くありません?」

 言われてみれば、ここを出たのはずいぶん前だ。

「何かあったんでしょうか……やっぱり一人で行かせなきゃ良かった」

 心配性だな。何処かで寄り道でもしてんだろう。

「リオマさん、探して来てくれません?」

「嫌だ」

「……どうして?」

 決まってんだろ。暑いからだよ。

「私じゃ、いざという時に頼りにならないでしょ」

 何だよ、『いざという時』ってのは。相変わらず良くわからない娘だ。

「素直に行って下さいよ。私だって、リオマさんの『あの話』とか『あんな話』とかを言いふらすといった手段には訴えたくないですし」

「――どういうことだ、そりゃ」

 一筋の汗が額を伝う。気温のせいばかりではない。

「こないだシャティさんに聞きました。リオマさんて、あんな恥ずかしい体験してたんですね……ぷっ、あははは」

 あ、あのバカ姉貴……!

「……行ってくる。帰ってくるまでに飯の支度しとけよ」

「あ、リオマさん」

 背中を向けた俺に声が飛んだ。

「まだ何かあるのか?」

 振り向くと、ユーアは真面目な表情に戻っていた。

「いつも無理を聞いてくれて、ありがとう……ちゃんと帰ってきて下さいね」

「は? 何を今さら」

「いえ……なんとなく、そう言わなくちゃいけないような気がして」

 つくづくわけのわからない奴だ。

「衝動だけで生きてんじゃねぇよ」

 捨て台詞を残して扉を閉ざす。

「あ、あなたに言われたくありませんっ!」

 後ろで何やら叫んでるようだが……空耳だろう、きっと。











 ホタルは八百屋で見つかった。

「ねーねーおじさん、これなんてお野菜?」

「それはピーマン。……なあ、ボク。いいかげんにしてくれないか。おじさんをからかってるんだろ」

「ううん、ホントに知らないんだもん。あ、これは?」

「ホウレン草。おうちの人が待ちくたびれてるよ、たぶん」

 八百屋の親父。嫌な奴だが確かにあんたが正しい。

「何やってんだ、ホタル」

「あっ、お兄ちゃん。八百屋さんって面白いんだよ。ほらこれはナスビって言うんだって」

――知っとるわい。

「リオマの知り合いかい。頼むから何とかしてくれよ」

 汗だくの太った親父。あまり近寄りたくない。

 悪い奴ではないのは知っている。しかし、生理的嫌悪というのはどうしようもない。

「帰るぞ、おい」

「えー。やだ、もうちょっと」

 駄々をこねるホタル。

「人の言うことを聞かないような奴は追い出すぞ」

「だったらリオマお兄ちゃんが最初に追い出されるね」

 ホタルは平然と言った。

 このガキ、いつの間にこんな知恵を。……ユーアの悪影響だな。

「いいから来い!」

 ホタルの首根っこを引っ掴む。

「じゃあ最後にこれだけ! これはなぁに?」

 タマネギを指し、無邪気に尋ねる。俺はため息をついた。

――旅芸人一座なんぞに育てられると、こうなっちまうのかねぇ。

 俺はホタルの足下に置かれていた食料が詰まった袋を持ち、歩き出した。

「あんまり遅いんでユーアが心配してたぞ」

「うん、ごめんなさい。だって料理されたところしか見たこと無いんだもん」

 そんな事を話しながら、麒麟亭へ向かう。

「そうだホタル、お前にも教えとこう。何でも王女様が行方不明らしい。それが騒ぎの原因だとさ」

 くれぐれも口外せぬように? 知ったことかって言ってんだろ。

 ホタルは黙ったままだった。たぶん理解していないのだろう。

沙邑尉(さむらい)どもが必死で探してるようだが……だったら最初から姫に護身術くらい仕込んどけっての。どうせ王族なんざ、働かなくても食っていけるヒマ人だろうが」

 戦闘用に訓練されたお姫様ってのもちょっと怖いけどな。

「まあそういうわけで、おっかないお兄さんたちもウロウロしてるから、お前も気を付けろよ」

 と、突然ホタルが立ち止まる。

「どうした?」

「ごめん、ちょっと足が疲れちゃった。しばらく休ませて……」

 やれやれ。

 俺はホタルに背を向けてしゃがみこんだ。

「?」

「乗れ。背負ってってやるよ」

 ホタルは少しの間突っ立っていたが、やがてためらいがちに俺に身体を預けた。

 思ったよりも軽い。

「僕……」

 ホタルの声が耳をくすぐる。

「こんなことしてもらったの、初めて……」

 ホタルの全身に必要以上に力が入っているのがわかった。腕を突っ張らすようにして、俺の背中になるべく身体を押しつけまいとしているようだった。

「楽にしてていいんだぞ。どうせ俺にかかる体重は変わりゃしねェんだから」

 俺はホタルの呼吸のリズムに合わせ、足を運んだ。

 麒麟亭の看板が見えてくる。

――扉が開け放たれていた。

 そりゃ、今日は暑いが……妙な胸騒ぎがする。ホタルを下ろし荷物を預け、俺は中に飛び込んだ。

「ユーア?」

 応えはない。

 テーブルの上に、普段の通りに三人分の食器が並べられている。その横に、刃物で記号が彫りつけてあった。

 ギルドのサインだ。俺が理解できる事を知っていて、彫りつけて行ったのだろう。その意味するところは、『人質』。

 ……畜生!

「どうしたの、お兄ちゃん」

「いや、何でもない。お前はここにいろ。わかったな」

 ギルドのやり方は良く知っている。あちらにとって有利な状況を整えてから、改めて俺を呼び出すつもりだ。

 だが、それを待っていてやるほど俺はお人好しではない。そっちがその気なら、今すぐ決着を付けてやる。

 『人質』という言葉にひっかかるものを感じたが、冷静になることに精一杯だった俺は深く考えないことにした。目を閉じ、息を吸い込む。取り戻せ、あの頃の感覚を!

 目を開く。

――まずは辺りを見回す。血痕の類いはない。だからと言ってユーアが無事であるとは限らないが、少なくとも彼女を傷つけるのが目的に含まれていないということはわかる。

――扉付近を調べる。今はもう乾いた固い地面に、かすかに見慣れない足跡があった。俺が水を撒いてから、そう時間が経たないうちにここを通ったわけだ。ならば、無闇に走っても追いつくのはかなり難しいだろう。勿論足跡はすぐに途切れている。

――再び家の中を探す。何か……何でもいい、手掛かりは!?

 テーブルの上。他の食器はあるが、コップは無い。それなりに几帳面なユーアだ。準備の時はそれも一緒に出す筈だ。

 ユーアの行動を頭の中でトレースしてみる。皿を並べ終わって、コップを取りに行った時に……邪魔が入った!

――流しの向かいの食器棚。何か俺にサインを残すぐらいのことは、思いついてもおかしくはない。

 探してみる。だが、いつもと同じに食器が整列しているだけだ。考えてみれば、あいつが、これから自分が連れ去られる場所を知ってるわけがないな……。

 打つ手なし、か。くそ……。

<ユーアちゃんをさらった男なら、出て右に走っていきよったで。そっから先はわからんけど>

 思わぬ声に、俺はその場に突っ伏した。

<眠らされただけやったから、今のところ心配いらんやろ>

「サキョウ! てめぇは……!」

<しゃあないやろっ、ポットの私にどないしろと? 文字通り手も足も出えへんかったわ!>

 ……俺の名推理の立場はいったい……。

「でも結局、進展は無いわけか」

<いや、そうでもないで。あの子は頭のええ子や。流しを見てみい>

 小さな小便小僧の首から上が欠けていた。おいおい、貴重な魔術の品だぞ……。

――魔術の品?

「サキョウ、行くぞ」

<了解>

 待ってろよ、ユーア。必ず助け出して弁償させてやる。

 ポカンとしているホタルを置いて、俺は麒麟亭を飛び出した。











 サキョウを抱えて俺は走る。走る。

 照りつける太陽も、周囲の人の目も、今は気にしない。気にならない。

<リオマ、お前もやっぱり人の子やな>

 方向の指示を出す合間に、サキョウが言う。

「あまり余計なことを喋るな。他人もいるんだぞ」

<……また『俺にその資格はない』とか気障なことゆうて、見捨てるかと思たわ>

「格好つけるのは、いつでも出来るからな」

 そう、今は自己卑下にひたっている場合じゃない。

 どうも敵は俺の追撃を警戒し、わざと出鱈目な道筋で逃げているようだが、居場所を感知できる俺たちに対しては何の意味も無い。むしろ距離を縮めるだけである。

<あ、動きが止まりよった。……いや、まだ少しは動いとるけど本拠地に着いたようや>

「どの辺だ?」

 サキョウの答えと、街の地理とを重ね合わせてみる。人の住んでる所から少し離れた……墓地?

なるほど、いかにもギルドの連中が好みそうな殺陣(たて)の舞台だ。

 俺は走る。

 墓地にあと少しと近づいた所で、俺は足を止めた。敵の影がないのを確認して呼吸を整える。この辺にはもう人家は見えない。

 サキョウを地面に置いた。

「忘れてなかったら取りに来てやるよ」

 忘れてなかったら。そして……。

<こんな所に置かれたら汚れるやないか。後でちゃんと洗えよ>

 生きていたら、か。

<約束やぞ、ちゃんと……ちゃんと戻ってきて、洗うんやぞ!>

 俺は軽く手を振って、歩き出す。

 この墓場、ちょっとした森に囲まれているが、敷地自体の中にあるのは墓石ぐらいで視界を遮断するものはない。

 恐らくその中央に陣を敷いているだろう。どこから入っても同じってことだ。

 とは言え墓地に続く道を歩くのは避け、脇の茂みの中を注意深く動く。気の早い樹が落ち葉を散らせ始めていて、それを踏む度に音がするのは仕方ないが。

「ん?」

 剣戟の音?

 そちらに近付く。罠ということも考えられるが、音を聞く限り、これは本気の戦いのようだ。

 木陰から気取られぬよう覗いてみると――あのハヅキとかいう沙邑尉(さむらい)が、一人の暗殺針と道の真ん中で切り結んでいた。あ、あいつは麒麟亭に押し入ったトリオの一員だ。

 ハヅキはここの場所を何かで掴んだのだろうが、ご丁寧に道を通って乗り込もうとしたらしい。近くに部下のテラとラザンが倒れていた。少し離れた茂みの中に、やはり倒れた男。

 基本的な戦術だ。一人が正面から対峙し、注意がそれたところを隠れた相棒が“狙撃”する。ハヅキは部下をやられながらも狙撃手のほうは倒したようだ。しかし、目の前の相手には苦戦している。

この地形では、長い禍多泣(かたな)は不利なのだ。暗殺針の短刀に翻弄されている。最初に脇差を抜けばいいものを、日頃から太刀を重視しているからこうなる。武器を持ち替える隙はない。

――冷静に観察している場合じゃないな。あいつを助けるのも癪だが、他人と戦っている相手ほど倒し易いものはない。俺は懐に常備している針の内一本を取り出した。“赤蠍”の名の由来となった、朱塗りの針。普段は筒状の鞘に入っているが、そこから引き抜くと自動的に毒が塗布される仕掛けになっているのだ。

暗殺針が短刀を閃かせる。ハヅキの右腕が血を吹き上げる。

 枝々の隙間。一瞬だけ射線が通る。

 俺はその一瞬を逃さなかった。

「ぐっ!?」

 勝利を確信していたその男は、首筋に俺の針を突き立て、呻きと共に地面に転がった。

「? これはいったい……」

 腕を押さえ、そう呟くハヅキの前に、俺はゆっくりと姿を現す。

「よう。また会ったな」

 驚きが彼の顔に広がる。

「お主……何故ここに?」

 そりゃこっちの台詞でもあるが。

「なに、ちょっと御先祖の供養にね」

「悪いことは言わん、やめておけ。この先は危険だ」

 ……本気にするなよ……。

俺はそれとなく暗殺針たちの武器を確かめる。即死毒は使ってないようだ。こいつらが俺のために集められたのなら、向こうには俺を殺す意思は無いということになる。結果的にはそれが、沙邑尉どもの命を助けたわけだ。

「ハヅキ、お前らは何をしてたんだ?」

「女を抱えた怪しい奴が通りを走っていたのでな。後を追ったらこのザマだ」

 俺はハヅキを見る。腕だけでなく、あちこちに傷を負っている。

「その様子じゃこれ以上の戦いは無理だな。自分たちの手当てでもしてろ。その敵もふん縛ってたほうがいいな。そのうち目を覚ますかも知れん」

「馬鹿を言うな! 私には、任務がある。任務が……」

「命を賭けてお国のために、ってか。どっちが馬鹿だ。死んじまったら任務もクソもあるか。たかがそれだけで――」

「違う! それだけではない!」

 いつも冷静なハヅキの声に、ふと熱が混じった。

 言ってから、気が付いたように取り繕う。

「否、勿論我らには任務こそ至上だが……他にも理由があるのだ」

「何だ?」

 黙り込むハヅキ。

「俺は命の恩人だぞ」

「…………」

 間を置いて、ぼそっと言う。

「大したことではない。奴らに殺られた親衛隊の中に、友と呼べる人間がいた。――取るに足らん、下らんことだ。聞かなかったことにしてくれ」

 …………。

 そうか、そうだよな。

沙邑尉(さむらい)と言えど、人間なんだ。冷酷な人形じゃない。俺はその当たり前のことに気付いていなかった。いや、目を背けていた。

 俺は笑った。

「あんたの気持ち、良くわかるぜ。だが、こっから先は俺たちの世界だ。――あんたみたいな真面目な人間が足を踏み入れちゃいけない」

 そうだ、先程の戦いぶりでわかる。多少剣技には長けていても、ハヅキは人を殺したことが無い。

「名を、聞いていなかったな」

 彼を残して歩きだした俺の背中に声が飛んだ。

「……リオマだ。憶える価値は無いと思うがな」





 俺は雑草だらけの道を辿る。ハヅキたちが騒ぎを起こした以上、今さら隠れてもしょうがあるまい。

 低い塀に囲まれた、墓地。

 その入口に立つ。おごそかに並んだ墓石。

 思った通り、その中央。ひときわ頑丈そうな卒塔婆にユーアが縛りつけられているのが見えた。口には猿ぐつわを噛まされ、典型的な人質ルックだ。

 捕らわれのお姫様、か。これまた典型的なシチュエーション。そして、救い主の白馬の王子が俺だ。が、ただ一つ違ったのは、王子様は殺し屋だったのです――。

 ユーアの横に一人の男が立っている。凶々しい、黒い刀身の剣を手に握り。

 不思議と、怒りやその他の感情は湧いてこなかった。今の俺にあるのは『任務遂行』の使命感のみ。そう、あの頃のように。

「おや、これはこれは。思ったよりも早かったですねぇ。後ほど正式に連絡を差し上げようと思っていましたが」

 男は刃をユーアの首筋に当てる。ユーアが俺を見る。訴えかけるような眼差しで。

 助けて、か。気をつけて、か。どちらかはわからない。

 奴との距離は、大股で二十歩弱ってとこか。少し遠いな。

「わたくし、“蜻蛉”(かげろう)と申します。以後お見知り置きのほど、どうぞよろしく……。俗っぽい言い方をするならば、あなたの後輩ということになりますかね、“赤蠍”」

“蜻蛉”ねえ。聞いたことがあるような気もするが。

 しかし、お近付きになりたいとは思わない。

「ユーアを返してもらおうか。これでもいちおう、ウチの大事な看板娘なんだ」

「あなたの態度次第ですね。だからこそ、この女をさらうといった、回りくどいことをしたんですから」

 ……? 何か妙だ。会話にズレがあるような気がする。

「素直に王女の居所をお教え願えませんか? さもないと、このお嬢さんは首と胴が離れたまま生活しなくちゃなりませんよ。――それでも生きていられたら、ですけどねぇ」

 どういうことだ。ユーアは……王女じゃないのか? それじゃあ、いったい。

「――どうやら勘違いしてるようだぜ、お前は。俺は王女など見たことも聞いたこともない。二人は倒した。後はお前一人だろ。無意味な危険を冒すことはない」

「わたくし一人?」

“蜻蛉”は笑った。

「やはりカンが鈍ってるんじゃないですか、“赤蠍”」

 俺は黙って針を引き抜いた。ユーアに押し当てられた、奴の剣に力がこもる。

 だが、俺はそれより早く、針を放った。少し離れた銀杏の樹の枝の上に向かって。

 呻き声。ドサリと音がする。

「自分の気配も殺せん暗殺針など、数に入れる必要はないな」

“蜻蛉”はこちらを見、大声で笑いだした。

「はっはははは。現役を退いたとは言え、まだまだ衰えてはいませんね。若い連中の間では、もはや伝説ですよ、あなたは」

「むーっ!!」

 ユーアが何やら言っていた。俺なりに想像して訳してみる。

(格好つけるためだけに、私の命を危うくしないでっ!!)

 人質なんだ、簡単に殺したりはしないだろう。目的を果たした後はどうか知らんが。

「わたくしたちもあの頃、皆あなたに憧れていたものです。あなたの殺しはまさに芸術だった。あなたが殺った死体を見る度、歓喜と戦慄で体がうち震えましたねぇ」

「むー……」

 訳。(変態……)

 芸術と来たか。シュンセツ先生が聞いたら何と言うだろう。

「あくまで惚けるんなら、それはそれでいいんですよ。他にも王女を探す方法

はありますし――何より、あなたが“赤蠍”だというそのことだけで、充分に倒す価値がある。そして我々は勝利に手段を問わない。あなたもよぉく御存じの通りです」

 剣を再び握り直す“蜻蛉”。

「まずは武器を捨ててもらうとしましょうか。あ、両手を上に挙げるのも忘れずに」

 少し考えが甘かったかもな。この男は、まともじゃない。

「さあ、どうしました?」

 黒い刃が、光を反射した。ユーアの喉にわずかに血の線がにじむ。

 俺は、懐の中の物を全て投げ捨てた。

「んむっ!?」

 ユーアが、そして“蜻蛉”が意外そうな表情を浮かべた。

「いや……ただ形式的に言ったまでだったんですが。まさか従ってくれるとは思いませんでしたよ……」

 奴はユーアから離れ、数歩前に出た。剣の腹で、左の掌をペシペシ叩きながら言う。

「では――どちらから殺すことにしましょうねぇ」

「むーっむーっ!」

 俺はゆっくり両手を天にかざした。

「む……」

 ユーア。

 視線が交わった。

 勘違いするなよ。俺はあきらめはしない。

 真上に挙げられた俺の手の中には、ポケットに入っていた小石がこっそりと握られている。あとは、機会を待つだけだ……。

「待ちなさい!」

 背後から誰かが叫んだ。この声は――ホタル?

 首だけ回して後ろを見た。ハヅキと、彼を支えるホタルの姿。

「あなたの目的は私の筈です。その方たちに危害を加えることは、王国の名において許しません!」

 “蜻蛉”は舐めるようにホタルを眺め、にたりと不気味に笑う。

「なるほど。まさか髪を切って男装なされていたとは……探してもなかなか見つからなかったわけですねぇ」

 なっ……。

 くそ、俺は世界一の大馬鹿野郎だ。何故気付かなかったんだ。ヒントは山ほどあったのに。

 裸を人に見せたがらなかったこと。

 世間知らずなこと。

 混血種であること。

 会ったことのあるシュンセツの前で一度も女姿を取らなかったこと。

 目の見えないヴィネがお嬢ちゃんと呼んだこと。

 全てのピースが合わさっていく。

「何しろ我々の持つ手掛かりは、容姿を除くとせいぜい、身に付けておられた王族特有の細工の首飾りぐらいでしたからね。ジュトウとかいう鍛冶屋さんから、麒麟亭にその首飾りを持った踊り子がいるとさりげなく聞き出せたのは、まさに幸運でした」

 …………。

 ジュトウの野郎め。

 訂正しよう。俺は世界で二番目の大馬鹿野郎に過ぎないようだ。

「それでこうやって酒場の御主人の隗・サァト・リオマ氏を呼び出したわけですが、王女様自ら来て頂けるとは光栄です。正直申しまして、これほどやってくれるとは思いませんでしたよ、妃殿下。我々の襲撃から逃れ、今日まで見事に身を隠しておられたんですものねぇ」

 “蜻蛉”はいい気になってべらべら喋っている。

 あれ? そう言えば……。

「ホタル、いや王女さん、よくここがわかったな。俺に追いつけたとは思えないが」

「街の人たちに尋ねただけです。ポットを抱えた男がどっちへ行ったか、って」

 その手があったか。なるほど、目立っていたからな。

「この期に及んで世間話ですか。まあいいですけどね。では王女、そろそろこちらへ……大丈夫です。なるたけ痛くはしませんから」

 そこまで語り、“蜻蛉”は俺の顔を見た。

「抵抗するなら今のうちですよ、“赤蠍”。あなたならこの状況でもわたくしを殺せるでしょう。人質の生死さえ気にしなければ」

 だが俺は動かない。

 “蜻蛉”が首を振りながら言った。

「……わかりませんね。さっぱり理解出来ませんよ。何故そこまで赤の他人の小娘にこだわるんです? ――恋人さえも、自らの手で殺したあなたが」

 ユーアが驚きに目を見開いた。

 “蜻蛉”はそのユーアに話しかけるように言う。

「そう、この人は自分の恋人だった女を殺す依頼を受け、そしてそれを実行し

たのです。いやぁ、全く暗殺針の鑑ですよ。もっともそれきり足を洗い、姿を消してしまったんですがね」

 その台詞を聞いても、今の俺の心はピクリとも動かなかった。

 何の事はない。冷酷な殺戮人形とは、俺自身のことだったのだ。

 チャンスだな。平静な心のままそう考える。

 ユーアも王女も殺させはしない。無論俺も死ぬつもりはさらさらない。

戦いにおいて重要なこと。それは自分の力をいかに発揮するかではなく、相手の力を最低限に抑えることだ。

 奴は長ったらしい演説で精神を高揚させている。注意力も判断力も低下しているだろう。

 十の傷を受けて百の打撃を与えるよりも、無傷での一太刀を求めるべし。一もいずれは百になる。

「これだけ言ってもかかってきてくれないのですか」

 段々と苛立たしげになってくる“蜻蛉”。

「いくら良い子ぶってもねぇ、駄目なんですよ。一度血の味を憶えた者は、そこから抜け出すことは出来ないものです。血の匂い、肉を切る感触、断末魔の悲鳴――そんなものが全部、まだこびりついてるんじゃないですか、あなたにも」

 …………。

「わたくしを幻滅させないで下さいっ、“赤蠍”!」

――今だ!

 最小限の手首の動きで、気付かれぬよう小石を放り投げる。少しの時を置き、“蜻蛉”の斜め後ろの辺りで、それが墓石に当たるカチンという音。

「!?」

 “蜻蛉”は思わずそちらに目をやる。注意がそれた。

 俺は足下を蹴り上げた。宙を舞う針を筒ごと掴み取り、そのまま奴に投げつける。

「“蜻蛉”、お前は三つの考え違いをしている! まず第一、俺は暗殺針から足を洗ったわけではない――最後の依頼がまだ継続されているだけだ」

 小さな円筒は“蜻蛉”の頬をかすめる。

 奴はよろけた。頬の小さな痛みのせいではなく、驚きのために。

 ほんのわずかなミスでも、圧倒的優位に立っていた者にとっては、大きな精神の動揺をもたらす。

 俺は一気に奴との距離を詰める。

「ハヅキっ」

 短く叫ぶ。

 風を切る音。意を汲み取ってもらえたようだ。

 飛んできた脇差を、走りながら手をのばして掴む。

 柄を握り、鞘を振り抜く。

「第二。俺の武器は針だけじゃない。単にそれが暗殺には適していただけのこと。剣の修行だって、さんざん積んできてるんだ」

 強く大地を蹴る。慌てて“蜻蛉”は剣を構える。

 その“蜻蛉”の横を、俺はすり抜けた。

「しまった! 女を……!?」

 俺が先にユーアを助けるつもりだと読んだのだろう。だが――

 反射的に振り向いた“蜻蛉”は、すれ違った直後に身をひるがえした俺と、鉢合った。

「なっ!?」

脇差を握ったまま、肘で奴の胸を突き放す。

 体勢を崩し、二、三歩後ずさる“蜻蛉”めがけ、俺は躊躇することなく刃を振り下ろした。

 懐かしい、確かな手応え。

 空中に赤色だけの虹を描いて、“蜻蛉”の右腕の肘から先が地に落ちた。一拍遅れ、宙に投げ出された黒い剣がすぐ隣に突き刺さる。

「最後に……人質ってのはよっぽど上手く使わない限り、敵よりも自分にとって足かせとなるってこった。ことに俺のような手練が相手ならな」

もう一度、今度は地面に向けて無造作に禍多泣(かたな)を振る。刃に付着した血が、露となって土の上に飛び散った。

 うずくまる“蜻蛉”を見下ろし、俺は静かに言う。

「その腕ではもう殺しは出来まい。故郷にでも帰って大人しく暮らすんだな」

 終わりだ。俺の勝ち。

 目の前の敵を眺めるうちに、感情が戻ってくる。

 怒り? 何に対して?

 はっきりしてくる。想いがこみ上げる。

――貴様程度の腕の相手に、あっさり殺られるぐらいなら苦労しない! 中途

半端に俺に手を出すな、やるなら責任持って殺せ! いっそ死なせろ!! いっそ……。

 息を吸い、吐く。激情を追い払う。

 “蜻蛉”は立ち上がる。左手で、腕の切断面の少し上を強く押さえながら。

「くっ……くっふふふ……」

 その口から、笑いが漏れた。

「流石です、流石は……“赤蠍”」

 そのまま走りだす。塀を乗り越え、森の中へと消えた。

 そちらには目もくれず、俺はユーアに近付く。縄をほどいてやる。

 ユーアは目を伏せ、俺の胸に飛び込んできた。

「おい、猿ぐつわぐらい自分で外せよ……おい? 泣いてんのか?」

 ハヅキと王女が来る。

「逃がしちまったの、悪いことしたかな、ハヅキ」

「いや、お主には感謝の言葉も無い。“蜻蛉”のことなら、また追いかければ済む」

「ありがとうございます、リオマ様……」

「様? よしてくれホタル――じゃなくて姫さん。あんたにゃ、すっかりだまされたよ。ロクな大人にならないんじゃないか? このペテン師」

 俺はユーアの髪を撫でてやりながら軽口を叩く。

「リオマお兄ちゃんに言われたくないよっ」

 『王女様』は、ニッコリとそう言った。





 成人を控え、各地をお忍びで視察して回るという習わしが、王族の間ではあるそうだ。 それに対して、ギルドがちょっかいを出してきた。

 王女を亡き者にしてどうするつもりだったのか。誰の依頼だったのか。それは俺には関係ないことだ。

 一人逃げ延びた彼女は、男装を考える。十五の少女から十二、三の少年への変装はたやすい。しかもその上、敢えて女姿をさらし、それを女装だと言うことでより嘘を固める。俺はまんまとひっかかってしまったわけだ。

「あのカツラや衣装はどうしたんだ、いったい」

 俺はそう問う。麒麟亭の玄関。別れの時が迫っている。

「旅芸人の一座にいたのは本当です。三日ほどだけですけど。そうそう、あの方たちに後で代金を払っておかないと」

 ここカディアルから少し離れた街で襲われた王女は、旅芸人や隊商にまぎれてこの街にやって来、俺たちと出会ったということらしい。

「じゃあ……見事すぎる踊りだの、とんでもない演技力のお芝居だの、何処で身に付けたんだ?」

「王宮ですわ。なにぶん、『働かなくても食っていけるヒマ人』なものですから」

 そう答え、思い出したようにクスクス笑う。

「――妃殿下。それよりも何故、真先に我らの所においでにならなかったのです」

 ハヅキは不服そうだ。俺が代わって言ってやる。

「選り抜きの親衛隊が全滅してんだろ。この姫さんは心配したんだよ。自分の身よりもむしろ、お前ら沙邑尉(さむらい)まで狙われることを」

 だから身分を明かさず、自分一人で誰にも頼らず乗り切ろうとした。

 この子だけが特別なのだろうか。それとも、王族というだけで全てを憎むのは、やはり間違っているというのか……。

「本当に、お世話になりました。リオマさんとユーアさんの事は決して忘れません。そして、この街の皆さんのことも」

 優雅に礼をして馬車に乗り込む。

「また何処かでお会いしましょう。リオマさん……」

 いずれにせよ、彼女がもっと大人になる頃にはこの国も変わることだろう。

 馬のいななきと共に、車輪が回りだす。

 土煙がおさまるのを待ち、ユーアに話しかける。さっきから少し様子がおかしい。別れのせいだろうか。

「ユーア――お前、確かホタルと一緒に風呂に入らなかったっけ」

 こいつだったら裸を見ても気付かない可能性もあるが。

「あの時に私には教えてくれてたんですよ、王女様。びっくりしましたけどね」

 え?

「リオマさんにも話そうとしたんです。でもその前に王族の悪口を持ち出されて、言いそびれちゃって…」

 そんなこともあったっけ。

「普通、同じ家で生活してればいつかはバレるんでしょうけど、リオマさんはホタルくんのこと私に任せっきりだったから。かえって都合が良かったかも知れませんね」

 馬車がどんどん小さくなっていく。最後の疑問を口にする。

「ホタルって名乗ったのは、何か意味があったんだろうか?」

 蛍。

「王女ですもの……。あの子は明るい昼間に輝く太陽より、たとえどんな幽かな光でも、暗闇を照らしてあげられる蛍になりたかったんじゃないかな。もしかしたら」

 毎日決まった道を動く太陽。

自由に飛び回る幽かな光の蛍。

「『明るい昼間に輝く太陽』の辺り、論理に少々矛盾を感じるが――それが、正解か」

 ようやく、涼しく物憂げな秋の風が吹き始めてきていた。



Posted by 白川 嘘一郎 at 21:53│Comments(0)
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